GAME。実際曲の出来、それだけを鑑みれば良いアルバムなんだろうとは思う。昨日の文はあまりにも落胆しすぎであったことは確かだ。これはPerfumeにとって初の「オリジナル」フルアルバムなのだ。前回のベスト的意味合いの強い、総決算アルバムとは訳が違う。けれど、そのオリジナルフルアルバムとして重要な新曲に僕らが求めていたのは、Perfumeの曲に求めていたのはこんなにも中田ヤスタカが透けて見えるようなものだっただろうか。いや、違う。中田ヤスタカの過去の仕事、井上麻里奈、嘉陽愛子、MEG、capsule、コルテモニカ、そしてPerfumeを見渡して、僕らは彼のそのアーティスト毎に書き分ける作曲家の職人的気質を信じていた。だけれど、このGAMEに収められた新録曲のいくらかは、中田ヤスタカ joins Perfumeだ。鈴木亜美『FREE FREE』における中田ヤスタカに求められた、彼個人としての音質や最近好む音の傾向を愚直に曲に落とし込む作業。手癖の曲。そのこと自体が悪いとは言わない。ただ、それをPerfumeのフィールドにもってくるのは明らかに間違いだと思う。僕らが求めていたのはあくまでPerfumeに合わせて楽曲を提供する中田ヤスタカであって、アルバムのタイトルはGAMEがいいと頑として譲らないプロデューサーとしての中田ヤスタカではないのではなかったか。カウントダウンライブでcapsuleと共演なんてしなければよかった。中田ヤスタカにライブなんて見せるな。彼がPerfume三人の個称をソラで言えるような状況になんてならなければよかった。彼がPerfumeに興味を無くしてほしい。没個性化してほしい。Perfumeに近づこうとするほど、中田ヤスタカが匂って、Perfumeがどんどん遠くなっていく。そんなアルバムだと思う。
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「僕ら」という表現は止めてもらえますか…。