一年位前の「俺が知ってるPerfume」の段階によく見られた形而上的で、一面的なつまらん分析が、「みんな知ってるPerfume」になった昨今ようやく目につかなくなってきたなぁと思ってきたところに目についたので書くよ。
http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20090520/p1Perfumeの最大の魅力は「物語」ではない。
代々木に二日とも行った方は思い出してほしい。あの、仕事場・学校の往復で本当にいいものを届けられているのか、なんのために(Perfumeを)やっているのかわからなくなったりしていたという言葉を枕に、「青春全部をPerfumeに費やしてきたんよ。これが無くなると悲しいんよ。」と繋げる西脇独壇場のMC部分。Perfumeがまだ「俺が知ってるPerfume」時代のとき、よく参照されていた宇多丸×掟ポルシェの読売対談にて言われ始めてから、西脇やPerfumeをして「天衣無縫」と形容されていたMCだが、この部分の内容はほぼ二日とも同じだ。完全にBook。お分かりのように、そのMC内容は「道夏大陸」的「物語」に沿ったもの。そして、そのMC開け一発目にやる曲は、「頑張れソング」と形容されているがしかしその実、どれだけ努力しても満たされることがなく「終わりがない」という不全感と絶望を歌う『Dream Fighter』。ある人から見れば、本人から語られる「物語」に感動したあとの「最高を求める」Dream Fighterという感動的な流れになるだろうし、ある人から見れば、緻密に構成の計算されたショーとしてのMCから「絶望」を歌うという壮絶な皮肉を込めたモノにも見えるだろう。「草の根的に盛り上がってきた」「僕らのPerfume」という、薄皮一枚で保たれていた張りぼての「物語」をPerfume自ら露悪的に繰り返すことによって、用意された「物語」を『ショー』の一要素として昇華し、「物語」的信仰に終止符を打ったと同時に、「ディスコ!」と銘打ったコンサートの主題「楽しさ」のほうに主眼を置かせようと個人的には感じたこの行動に、僕はほんとに賞賛を送りたい。
彼女らの口から、苦労や下積みといったことばかりが強調された、(僕にとっては)悲しい「物語」を聞かせられるのは、もう嫌なんだよ。地方に比べて圧倒的に東京のほうがまだ人気があったこと、また僕自身基本在宅であるということを差し引いて考えてみても、四年前のO-Crestのワンマンの時から、これまで悲観的なムードが受け手として僕がPerfumeに漂ったと感じたのは二回。新曲が黒い衣装で「リニアモーターガー」の繰り返しというそれまでの路線とは変わったもので、メジャーデビューが徳間からと発表されたO-Westと、アルバムの表題に「Best」と付いていたことがわかった時くらいのものだよ。そのふたつを例外とはっきり言えるほどに、着実に客層の幅・動員・彼女ら、すべてにおいて時期を追う毎に成長していると感じたし、代々木と変わらず素晴らしいと感じるライブをやってたよ。今でもそう感じるのだからこんなページやTumblrでキチガイみたいに情報集めてるに決まってんじゃん。そんな成長の一端として、客寄せのひとつの道具に前述した「物語」を自ら扱う「したたかさ」を目にした時こそ、僕は心底胸が震えるし、感動するんだよ。分かれよ。
僕は、定型的な「涙」を誘う話を聞きたいわけじゃない。人の苦労が報われれば、それは泣きますよ。人が死ねば泣きますよ。その「泣く」ための要素に、世間が気持ちよくなるために、Perfumeがオルタナティブな「材料」として「泣き」の定型に嵌めて語られるのがほんとに嫌なんですよ。それはPerfumeである必然がまったくないじゃないですか。
僕は、みんながそれぞれ感じるPerfumeを聞きたい。感動の表面だけをなぞったような「道夏大陸」を100回見たところで、みんなから語られるそれぞれのPerfumeは、同じになったりなんかしない。「物語」の先があるからブレイクしたんだよ。
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